ハリガネ造形画家・パフォーマー・グラフィックデザイナーと、その先「升田学」 MANABU MASUDA

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劇団「維新派」との出会い

 「升田学」はハリガネ造形画家・パフォーマー・グラフィックデザイナーという複数の顔を持つクリエーターである。いずれも多様な経験を積んできた人物だ。

 グラフィックデザイナーとして下積みをしていた彼は、22歳の時に大きな転機を迎えることとなる。「演劇嫌いだった僕は、当時彼女だった妻に誘われて、維新派という野外演劇を観に行ったんです。それがものすごく衝撃的でした」と語り、「演劇というより総合芸術でした。仮設の野外劇場であるにもかかわらず600人は入る客席。それよりはるかに大きいステージに、映画のオープンセットのような巨大美術。独特のリズムで発語し踊るヂャンヂャン・オペラと呼ばれる演技。その全てが独創的で芸術的でした」と説明してくれた。

「なんで今までこんな素晴らしい世界を知らなかったのだろうと、悔しい気持ちになりました。いつか必ず関わりたいと思ったんです」そう当時を振り返ってくれた。

 この衝撃的な出会いから3ヶ月後、升田氏はグラフィックデザイナーとしての成功を夢見て上京を決意。当時勤めていた大阪のデザイン事務所に辞表を提出した。行く宛がなかったにもかかわらず意気揚々としていた升田氏に、なんと維新派からの新人募集の案内が届いたと言う。

 「役者募集ではあったんですが、何か必ず学びがあるはず。維新派を取り仕切るカリスマ『故松本雄吉氏』の仕事が見れる。とにかく東京へ行くよりこっちだ!そう思いました。将来の行き先はわからないけど、前進することは間違いない。そう思って、目の前の激流とも言える転機に飛び込むことにしたんです」 こうして彼の維新派に捧げる生活が始まった。

 「当初は2~3年体験して、そのスキルをデザイナーとして活かそうと考えていたんですが、あらゆることが新鮮で知らないことばかり。簡単に何かを得られる代物ではありませんでした。そしてそれらを克服し上手くなりたいという欲が途絶えることがなく、11年間在籍することになりました」という。

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演劇とグラフィックデザイナー

 「升田」氏は「維新派」という総合芸術を経験したことが、後の様々なクリエーションに大きく影響したという。「維新派」在籍中もデザイナーを続けていた彼は、30歳を迎えるころ、ようやくデザインと維新派での活動に共通項を見つける。「デザインの仕事はアートとは違い、クライアントがあって初めて始まる仕事です。維新派に置き換えると、演出家がいて初めてパフォーマーの仕事が始まるんです。演出家が求めていることを聴き、演技をすることは、クライアントが求めることを聴き出し、デザインすることに似ています。そしてもう一つ役立ったことは、演出家や役者以外に、美術家・作曲家・照明家・音響・大道具・衣装など、様々な人が集まり一つの大きな作品を創作した点です。後にどんな大きな仕事にも臆することなく挑める心構えが生まれました。人前に立つことすら緊張する人間だった私には大きな成長でした」と、彼のデザイン活動における演劇との関連性を語ってくれた。

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一本のハリガネで作る世界

 「升田」氏にはもう一つの顔がある。それはハリガネ造形画家である。幼い頃から絵を描くことが好きだった「升田」氏は、デッサンや一筆書きで描くクロッキーを好み、中でも人体に興味があったという。それらを描き写すことを続けていたが、ある時、それをどうすればアートに繋げられるのかと悩んでいたという。そして出会ったのがハリガネ

 「紙の上の一筆書きでは魅力がない。絵を紙から脱出させることはできないか?そう思ったのです。それで一本のハリガネを試しました。一筆で描かれていることを口で説明しなくてもわかってもらえると思ったんです」と語り、「最初に人の顔を描いたのですが、それが僕には意外に簡単で、驚きはあまりありませんでした」と言う。

 維新派に没頭していた時期と重なっていたこともあり、趣味として創作する日々が続いていたが、10年が経ってようやく、このスタイルのハリガネ作家がいないことに気づいた彼であった。

 その創作方法は「まず目や眉毛から描いて、鼻、口、顔の輪郭へと続く、その光と影の境界線をなぞります。そして顔のサイズがわかると体のサイズが見えてくる」と、話してくれた。かなり繊細な作業のように感じ、実際にどのくらい時間をかけて、どんな風に作っていくかが気になった私たちに、彼は「すぐにできるモチーフだから」と、「人」の代わりに可愛らしい「カエル」を作ってくれた。

 ほんの数分でつくるハリガネアートに驚いていると「今みたいに驚いていただいたり、喜んだり、そういう感動を提供できるのが面白いです」と微笑みながら、そのカエルをプレゼントしてくれた。

 それは一筆書きの絵でありながら、背景が透けて見える造形物であった。この特徴は「升田」氏を飽きさせない一つの要因になっているという。

 又、「光を当てて映しだされる影は、僕の知らない線になっているんです。また、空を背景によく撮影するのですが、僕の描いていない借景も作品になることが楽しいんです」と彼の自由な発想から生まれたハリガネ作品について語ってくれた。

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三足のわらじ

 3つの仕事を同時にやりこなしている「升田」氏をとても大変そうに思うが、彼は全ての仕事をやっているからこそ楽しいという。

 「デザイナーになることしか考えていなかった僕が、作家活動やパフォーマー(ダンサー)活動を行い、今では様々な仕事が舞い込んで来ています。これは本当に面白いことだし、それが僕の商品価値だと思います。よくどれが本業ですかと聞かれるけど、どれもが本業で、どれもやめるべきではないと思っています。主観的に作品を作り、客観的に整理し、身体を使って感じるなど、いろんな角度から物事を見る人生は稀だと思います」、「ちょっと話が違いますが、人を描くことと、舞台で身体を操作することはとても似ています。いずれも人体を把握することに他ならない。表し方の違いなんです」こうも話してくれた。「昔は舞台に立つ時すごく緊張しちゃって、それを克服するのが大変だったんですが、ちゃんと準備すれば緊張しないことに気づきました。それはデザイナーでもハリガネ画家でも同じで、準備できたことしか表現できないという裏返しでもあります。しっかり準備して練習して、その積み重ねを発表しようと思います」と語り、今の彼の人生がどれほど大変で美しいものなのだろうと気づかされる瞬間だった。

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絵空事な人になりたい

 「升田」氏は不思議な言葉を口にした。それは「絵空事な人になりたい」というもの。

 彼が思う絵空事とはなんだろう?そう質問をしてみると「前の展覧会のタイトルでもあったんですが、実現しそうにない夢みたいなことと揶揄としてよく使われている言葉ですけど、むしろ夢みたいなことを形にする人になりたいと思ったのです。展覧会のタイトルをつけてから知ったことなんですが、具体のメンバーの嶋本昭三さんが『絵とは絵空事だ。絵描きは絵空事をする人だ』と語っていたそうです。その言葉にすごく励まされました。『面白いことを思いついたら、社会のことや生産効率など考えず、バーンと打ち出していけば良い』と。デザインの仕事の時は、そこはやっちゃいけないですけどね」と「升田」氏は笑う。

 又、絵空事な人になりたい彼の信念として「お金のことは気にせず、人に迷惑はかけないで、自分が感動することをやろう。社会に役立つものというより、もっと人間の根源的な喜びや感動を生み出せるような人になりたい」と語ってくれた。

 「今思えば維新派は絵空事をする集団だったのだと思います。かなり難しいけど、僕らの仕事というのはそこを目指すべきだろうと思います。遠回りになっちゃうかも知れないけど、やり終わった時のマラソンみたいな喜びがあるだろうし、そういう冒険をずっと続けたいです。完成品というのは無いんだろうなとも思います。でも完成や!って思っちゃったらもうやることがなくなるんですよね。好きなことを好きなだけやって生きていたいです」という彼の言葉には普通の人なら考えられない着地点があって、そこを目指して楽しく頑張っている姿が見えた。

 みんなが「絵空事」な人にはなれないかも知れないが、彼なら誰よりも素敵な「絵空事な人」になれそうな気がした。

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